ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

久しぶりに雨が降りました。

このところ、ずっと炎天下が続いていたが

おかしな進路の台風が来たおかげで久々に恵みの雨が降った。

先日の大雨以来である。

過ごしやすい、とまではいかないが

少しだけいつもよりは気温が低かったように思う。

 

ハリネズミも、あいかわらず寝てばかりはいるが

多少慣れてきたのか、わりとじゃれ合えるようになったし

家である蛸壺から足を投げ出して寝るという

かなりリラックスした姿を見せるようになった。

 

先週、私は職場の飲み会をほっぽり出して帰ったのが気がかりだ

という旨の記事を投稿し不安感を吐露したが

月曜日に出社してみると、来なかった理由を一度訊かれただけで済んだ。

裏で何を言われていたかは分からないが。

 

とは言え、私自身あいかわらず

憂鬱な気分であることには変わりない。

 

木曜日も先輩社員と仕事の向き合い方とやらで言い合いになった。

実にくだらなくて生産性のない口論だったが

彼と話していて、根本的に自分は営業マン向きではないと改めて感じた。

 

他人に迎合して愛想を振りまくというのが

私にはどうにも気持ち悪くて、偽善的で虚飾的な行為であるようにしか思えない。

 

自分が他人から嫌われないように良く見せたいという願望は分からなくもないし

自分自身やってしまっている部分もあるかとは思う。

しかし、他人を騙そうとしている時点で詐欺と呼べるのではなかろうか。

 

私は周りの人間から嫌われようとも自分を虚飾したりしたくはない。

確かにこの価値観は間違っているかもしれない。

けれど例え

バカ正直だ、無愛想だなどと他人からこの考えを非難されたとしても

自分が今まで生きてきて出した答えが間違っているとは思えない。

我ながら傲慢だと思うが

おそらく今後も変わることはないだろうし、変わりたくないとも思う。

 

ただし、この価値観にはデメリットもあって

他人への思いやりや協調性が著しく損なわれるらしい。

自分自身ひねくれ度が増していっているのを如実に感じる。

 

いずれにせよ

この一年で私はますます人嫌いになってしまったのかもしれない。

 

 

先週くらいから、録りだめしている「進撃の巨人」を見ているのだが

その中でキャラクターが放った

「何も捨てることができない人は、何も変えることはできない」というセリフが

私の胸を打った。

 

先月の話ではあるが

私は希望職種に適う求人サイトを見つけて書類選考も通過したにも関わらず

通勤時間が長いという理由で断るという痛恨のミスを犯してしまった。

 

もちろん色々と考えて

後悔はないと結論づけた上での行動だったのだが

その後、それに見合った求人を見つけることもできず

正直後悔している。

 

今の気楽な実家暮らしと過酷そうな一人暮らし、

今の絶望的な職場環境と希望する仕事内容とを天秤にかけた結果

出した答えとはいえ完全に自業自得である。

もう少し待てば、もっと良い求人があるだろうなどと

欲を出したのも原因の一つかもしれない。

 

一期一会という言葉もあるが

好機は一度しか訪れないものだ。

そのチャンスをものにするには

なりふり構わずとりあえず飛びつくほうが賢明なのかもしれない。

 

石橋を叩いて砕き割っていたら

いつまでも状況を変えることなんてできないのだ。

 

今さら後悔しても始まらないし、過ぎたことは仕方がない。

 

去年あたりから精神的な季節感はないし

私の心の中は年中どんより天気だ。

現実世界のからりと晴れた天気とは大違いである。

どうせなら恵みの雨でも降ってほしいものだ。

 

それにしても先週から陰鬱な記事しか投稿していないのは

考えものである。

今週で平成最後の7月が終わる。

せめて来月はそこそこ思い出あふれる夏にしたいと思う。