ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

『ゴジラ 星を喰う者』を観た感想。

先月末から行われていた家の壁の塗装工事が終わり、今日は足場の解体作業日だった。

 

あまり天気は良くなかったが、家の周囲を覆っていたカバーが取り外され、若干家の中も明るくなった。窓から見える景色も久しぶりだ。

 

やっと明日からは、壁越しに他人の気配を感じることなく有意義なニート生活を送れそうだ。(おいっ)

 

 

 

今日は先日公開された『GODZILLA 星を喰う者』を観に、近所の映画館まで出かけた。

 

考察や感想は他のサイトでも散々されているだろうし、余程そちらの方が有益な情報を得られると思う。

 

 

よって、この投稿ではあえて個人的な感想を記そうと思う。

誰かに読まれる前提で書いてるわけではないので、ネタバレ配慮はしない。万が一、読まれる方はご注意を。

 

 

今回、公開されたゴジラ映画は初のアニメ化作品であり、3部構成となっている。

第1部はちょうど一年前に、第2部はその半年後に公開された。

 

そして今回、ついに完結編が封切られたわけだが、正直なところ期待を裏切られた感が否めない。

 

 

1部、2部まではわりと面白かったように思う。1部における「ゴジラ・フィリウス」との戦いは小規模とはいえ興奮したし、次作に繋がる最後のバッドエンド演出も良かった。

 

2部に関しても、巷でいわれるとおりメカゴジラとのバトルがなかった点は残念だったものの、あれはあれで新しい試みだという視点で楽しめた。加えて、最後の精神論的な展開もエヴァ要素があるように思えて、次作に期待が持てた。

 

 

もちろん、つまらなく感じた場面がなかったわけではない。

 

例えそうでも、まだ次があるという期待があったからこそ、今まで付いて来られたとも言えるかもしれない。

 

 

しかし、最後まで観てきて主人公ハルオに共感することはついにできなかった。

 

膠着状態において、主人公はなかば強引な現状打破に走り、周囲の人間も彼を英雄視するのは分かる。だから、1部はまだ良かった。

 

しかし、2部になって急に同僚のユウコとラブラブ展開になるのは、どうにも納得いかない。

 

現実的な話として、生命の存続が危ぶまれた時に子孫を残そうとして、本能的にそういう衝動に駆られるのは分からなくもない。寄生獣の主人公だって、そうだった。

 

しかし、ハルオとミアナが仲良くしているのを見てユウコが嫉妬するという場面もあり、ハルオがラノベに出てくるハーレム主人公にしか見えない。

 

その上で、今作だ。

脳死状態になったユウコを見て悲観しているハルオにミアナやマイナが詰め寄り、一度拒みはすれど結果的に子作りしだした。

 

そこらのラノベ主人公よりタチが悪いとしか思えない。

 

 

しかも、結果的に育児放棄をして初恋相手のユウコと心中するなんて、もはやクズ野郎としか言えない。

 

というか、普通にミアナが可愛そう(ミアナ推しだったのもあって)。

 

長い目で見れば、ハルオの行動原理は理解できなくもないのかもしれないが、この展開は物語としてはイマイチだと言わざるを得ない。

 

 

それに、前作では「人間はどうあるべきか」という問題提起がされたのだから、てっきり今作では何かしら答えが得られるものだと思って期待していた。

しかし、「現状に妥協して質素に生き長らえる方がいい」というような印象しか受けなかった。

 

あれだけ熱量をもって打倒ゴジラを掲げていたのに、「生きることが勝つことだ」なんて、ありきたりな綺麗事とゴジラに隷属し、子作りに走る主人公なんて見たくなかった。

 

 

要するに、主人公の思いつきに周りが振り回されるだけの話だった。

 

バッドエンドにするにしても、もう少し教訓めいたメッセージがあるとか、絶望感溢れながらもガメラ3 のような多少の期待感を抱かせてほしかった。

 

あのラストだと、結局人類はゴジラに勝てず、主人公は「ふて寝」ならぬ「ふて死に」しましたという印象しか受けない。

 

なんとも虚しい終わり方だった。

 

ギドラ戦は百歩譲ってアレで良かったとして、期待していたモスラは殆ど活躍しなかったし。小説版読んで想像しろということだろうか。

 

 

 

主人公ハルオは、自分と同じ24歳だということだったから、少なからず親近感を持ったし自己同一視もしていた。

 

だから、この一年のあいだ、行きたくもない会社や会いたくもない上司をゴジラと見立てて戦ってきた。

 

結局は退職するという逃亡の道を選択してしまったわけだが、ハルオと同じく新時代を勝ち取るんだと自らを鼓舞してきた。

 

それなのに、人類は現状に妥協し、主人公も死という逃亡でもって戦いを終えてしまった。

 

「負け戦を選ぶことだって出来る」なんて言い訳して憎悪の感情とともに散っていったが、だだの無理心中であり自己満足だ。

 

初代『ゴジラ』で散った芹澤博士の方が100倍カッコいい。

 

主人公だからといって、人類の未来に絶望して勝手に死んでほしくはなかった。

 

メトフィウスの呪いを、身を賭して葬り去ったと考えれば、ターミネーター2みたいでカッコいいという解釈もできなくはないが…。

 

 

もし、今も会社を辞めておらずに今作を観ていたとしたら、いま以上に失望していたと思う。現状からは逃げられない、と人生を悲観したことだろう。

 

例え負けたとしても人類の未来には希望がある、強いては自分にもいつしか救いがあるというエールが欲しかったのに、非常に残念だ。

 

 

おそらく本3部作は興行的に失敗したのではないかと思うのだが、またもゴジラは長い眠りについてしまうのだろうか。

 

ガメラみたいなことにならないことを期待したい。