山口観光してきました(12/8〜10)。【岩国編】
12月も早や中旬。寒さが身に堪えてきたので、今日は一日中コタツに潜っている。
最近、ブログを全く更新していなかった。先月下旬の書写山の記事以来、久しぶりの更新だ。
今まで暗い内容を投稿することが多かったので、明るい記事にしようと思い立ったのだが、そのせいで後に続く記事が書けなくなってしまったというのが更新が留まった理由だ。
いまだに引きこもりニート生活を続けているのだから、さすがに書くことがなくなるのは当然とも言える。たまにハロワや教習所へ出かけているとは言え、それだけを記事にするのは難しい。
何はともあれ、久々の投稿。
つい先日、気分転換がてら山口に行ってきたので、今回はその事をひとまず書き綴ってみる。
山口には従兄弟が住んでおり周防大島にみかん畑を持っているので、みかん狩りの手伝いをするという名目で行ってきた。なかなかの田舎だと言うことなので、田舎好きな自分としては楽しみである。
初日~岩国観光~
広島駅にちょっと寄り道
最寄りの新幹線駅から、まずは広島まで向かう。新幹線に乗るのは5年ぶりくらいで、どんなふうに乗ればいいのか若干不安すら感じた。結果的には、特に問題なかったのだが。
まず乗車するのは、こだまの500系。小さい頃は新幹線を始め電車が好きで、中でも500系はお気に入りだったので、童心に返って少し嬉しかった。新幹線、まじカッコいい。
ひとまず広島で下車。
広島まで切符しか買っていなかったし、伯父たちへの手土産を購入しついでに広島駅構内に立ち寄った。前にネットだかテレビだかで「揚げもみじ」なるものが話題になっているという話を小耳に挟んでいたので、駅構内の土産売り場を散策してみた。
しかし、全然見つからない。
一向に見つからないのでググってみたら、なんと広島駅で「揚げもみじ」を購入できるお店は今年の9月で閉店してしまっているらしい。
タイミング悪っ。入手するには宮島まで行かないと無理っぽい。
いくら何でも面倒臭すぎるので断念。何かそれっぽい土産を購入することにした。マカロンみたいなやつを購入して広島駅を後にした。ただ、手土産選びだけで一時間も浪費してしまった。こういう時、自分の優柔不断っぷりが憎い。
まずは岩国へと向かう。せっかくなので日本三奇橋のひとつ、錦帯橋を観光してから伯父・伯母の待つ周防大島へと向かうことにした。
錦帯橋に到着
広島駅から電車に揺られること一時間、岩国駅に到着した。
最初、車内はわりと満車状態だったが、宮島でほとんどの乗客が降りていった。OLだかJDだかの女子二人組や外国人、老人集団が多かった。さすが日本三景だけのことはある。自分は2回ほどいったことがあるので、今回は素通り。
岩国駅からはさらに電車かバスを乗り継ぐ必要があるのだが、特に急いでいるわけでもないし最近は運動不足なので歩いて行くことにした。
この日は、今冬一番の寒さで雪もちらついていたのだが、一時間も歩いていたので特に寒さを感じることなく錦帯橋に到着した。
まずは、錦帯橋手前の土産店を物色。
事前のリサーチで蓮根麺というのが名物という情報を得ていたので、それが食べられる店に入ったのだが団体客の予約が入っているとかで、30分待ってほしいと言われ門前払いにあった。
仕方なく店を出て、さすがに汗も冷えてきて寒くなってきたので、さっそく錦帯橋を渡ってしまおうと切符売り場に向かった。すると、売り場のおじさんが13時になったら2時間程度の無料ガイドが始まると教えてくれた。せっかくなので参加することに。
13時まで少し時間があったので、とりあえず土産店の物色を再開。
観光交流所「松がね」というところで、これまた名物らしい岩国寿司の試食販売を見つけたので簡単に腹ごしらえ。他に客もいなかったので、店員さんと少し話をした。岩国寿司自体は、ちらし寿司を押し寿司みたいにした感じだった。
超簡単な昼食を済ませ、再び錦帯橋へと向かう。
錦帯橋を渡るだけでも通行料が取られる。今回はせっかくなので、山の上にある岩国城も行こうと思うので入場料と、そこへのロープウェイ代も一緒になったセット券940円を購入。この間の書写山よりは良心的だろうか。
さっそくガイドのおじさんと錦帯橋を渡った。ちなみに参加人数は一人、つまりは自分だけでワンツーマンである。あれっ、あんまり人気ないのかな。
しかし、開始30分で少し後悔した。自分に前知識があまりないせいもあるかもしれないが、おじさんの話が冗長的すぎて退屈しだしてしまった。自分のペースで回りたかったなぁとか思い始めた。とはいえ、もちろんガイドさんに教えてもらわなければ知り得なかったこともあったのも事実ではあるが。
結局、一時間かけて第二の観光地である岩国城へと向かうロープウェイに到着。たぶん普通に錦帯橋からロープウェイに向かったら5分も掛からないと思う。
いざ岩国城へ
岩国城がそびえる横山は標高300Mあるらしく、麓以上に寒風が吹きすさぶ。
現在の岩国城は、城を描いた適当な絵を参考にして昭和の時代に建て直されたものらしく、本来の天守閣があった位置とも異なるらしい。実際の天守閣は現・天守閣から少し離れたところにあり、石垣だけが残っている。
岩国城の石垣は野面積みという組み方らしく、一見すると適当に採掘した石を適当に積み上げているような印象を受ける。しかし、ガイドのおじさん曰く、この積み方は石の間に詰める小石も含めて、ちゃんと計算した上で積み上げているらしい。故に、かなり頑丈な作りになっているという。
おじさんは、2年前に起きた熊本地震を引き合いに出して「もし熊本城の石垣も野面積みだったら、崩れてなかった」と言っていた。本当なのかな。今ネットで調べたら、綺麗な形に採掘した石を積み上げる石垣の方が頑丈みたいなこと書いているのだけど。
城内は刀や槍、写真などが展示されており、ガイドのおじさんは幸か不幸か一つ一つ説明してくれた。展示物の中には、日本各地のお城や橋の写真があるのだが、それを逐一説明してくれる。ん~、岩国城のことだけ教えてくれれば良いんだけどな。夕方には伯父・伯母の待つ周防大島に向かわないと行けないので、少し焦りが出てきてガイドさんの話があまり頭に入って来なかった。
それでも、岩国城の特徴だけは頭に留めておいた。岩国城は桃山風南京造りで建てられており、上の層が下の層より飛び出しているようなデザインになっている。個人的には不格好に見えるのだが、建築当時は目新しかったらしく流行りを意味する「南京」を冠した造りになっていそうだ。
岩国城は不遇のお城で、関ヶ原の戦い以後に赴任した吉川広家によって築城されたものの、一国一城令によって完成から7年後には取り壊されてしまったらしい。まさに骨折り損といった感じだろうか。造らされた人たちも憤慨しただろうな。
錦帯橋についてもいくらか知識を得た。もともとあった城下町と岩国城との間を分かつ錦川をスムーズに渡れるよう吉川家2代目城主が架橋を計画したが上手くいかず断念。
その後、3代目が父親の遺志を継いで橋の建造に着手したらしい。幼少時代、彼は病弱だったらしく独立という僧に面倒を見てもらっていたのだが、そのお坊さんが中国の橋の絵を見せたのがきっかけで錦帯橋のヒントを得たのだそうだ。
しかし、錦帯橋の架かる錦川は頻繁に氾濫し、橋も何度も流されてしまったらしい。1950年にも大きな台風が来て、酒樽を橋の上に置いて重しにするも効果なく流失してしまったとのこと。現在は、川の上流にダムがあって水量が調整されていることに加え、橋の土台の石垣自体も再建時にコンクリート造りになっているらしいので、流失する心配はなさそうだ。
とはいえコンクリ造りとは・・・。少しがっかりした。
岩国城の最上階からは、かなり遠くまで見渡すことができた。眼下には小さく錦帯橋が見え、遠くの方には岩国基地や最終目的地である周防大島も見ることができた。ここでも、ガイドさんがいくつか話をしてくれたが、疲れと焦りとで一層話が頭に入って来なかった。
何せガイドの予定時間を過ぎ16時になっていたので、さすがに聞き疲れてしまった。でも、岩国城に入るにも料金を支払っているので、元は取れたように思う。
錦帯橋周辺を散策
その後、岩国城を去ってロープウェイに乗り下界へ。近くに白蛇の資料館があるとのことだったので入館。時間を押しているとは言え、ここには行きたかったので急ぎ足で立ち寄ることにした。
岩国周辺では、なぜかアオダイショウのアルビノである白蛇がよく現れるらしく信仰の対象になっていたとのこと。館内では実際に生きている白蛇も展示されていて、ざっと白蛇について学ぶことができる。時間がなかったので、あまりゆっくりはできなかったが、子供向けの展示内容だったこともあって大体の知識を得ることはできた。
家の近くでも蛇は見たことはあったけど、1M以上あるものを見たことは殆どなかったので感動した。それに、白いせいか少し可愛さすら感じた。
白蛇資料館を出て、錦帯橋へと戻る。途中、鵜が飼われている小屋や石人形の資料館にも立ち寄った。
石人形というのは錦川に生息するニンギョウトビケラという昆虫が体の周りに小石を纏ってつくる人形のことらしい。さながら、水中のミノムシといった感じだろうか。この界隈では、この虫が作った石の塊を小さい仏様や人形に見立てており、日本でも独自の風習とのことだった。
先日、従兄弟が骨折してしまったので、伯父・伯母への手土産も兼ねてお守りをここで購入することにした。さきほど立ち寄った白蛇資料館でもお守りは売っていたのだけど、割高だったので断念していたところ、ここでは300円ほどで売っていた。得した気分である。
錦帯橋手前でガイドさんと別れ、周囲を一人で少し散策。結局、蓮根麺は食べられそうになかったので、土産用の生麺を購入した。家に帰ったら家族一緒に食べようと思う。
加えて、蓮根コロッケというのもあったので購入し、その場で食べてみたが比較的普通のコロッケだった。よく考えたら、そもそも蓮根自体はあまり癖のある野菜でもないし、案外そんなものなのかもしれない。
その後、錦帯橋を渡って最寄り駅の川西駅へと徒歩で向かい、岩国駅経由で伯父・伯母との待ち合わせ場所である大畠駅まで電車に乗った。
岩国駅から周防大島への最寄り駅である大畠駅までの路線は海岸に沿って走っており、車窓からは瀬戸内海に浮かぶ島々を眺めることができる。あいにく、日はすでに沈んでおり辺りは薄暗かったのだが、明るいときはさぞ良いのどかな景色が見られるのだろう。
周防大島に到着。みかん鍋を食す。
無事に大畠駅で伯父・伯母と落ち合い、車で家へと向かった。
家と言っても、伯父たちはここに住んでいるわけではない。周防大島には伯父の実家があり、伯父の母親がみかん畑を管理していたのだが、歳を重ね作業が難しくなってきたので、代わりに伯父が時折ここに訪れ管理しているというわけだ。
家に着き少しばかり休憩したあと、さっそくみかんの箱詰めを手伝った。もとよりみかん狩りの手伝いに来ているので、それに付随する作業も手伝うことになった。
一時間ほど、家の横にある倉庫内で箱詰め作業を行なったあと、島内の温泉に向かった。しかし、思いのほかその温泉施設の閉館時間が早く、急ぎ足での夕食および入浴となった。
ここ最近、周防大島では「みかん鍋」というのが名物として売り出されているらしかったので、食べてみた。意外と癖がなく、おいしく頂いた。みかんが丸ごと鍋に入っており、皮も一緒に食べるのだそうだ。
家で試そうにも、「みかん鍋」には色々と条件があるらしい。例えば、みかんに焼印を入れないとダメらしいし、みかん自体の大きさも大事なんだそうだ。自宅で作ったとしても、それは「似非みかん鍋」ってことだな。
しかし、入浴時間が迫っていたので、残念ながらゆっくりと味わうことができなかった。シメに雑炊にして食べるのがオススメらしいのだが、最後は殆ど口に掻き込むような状態になってしまい、結局全部を食べきることすらできなかった。非常に残念である。
せっかくの温泉もカラスの行水で出てきてしまったが、島内は街灯も少なく良い意味で田舎らしい雰囲気が漂っている。本土に見える夜景も、自ずと心を穏やかにさせてくれる。自分好みのいい所である。
初日だけで、かなりのボリューム記事になってしまったので、続きは次回に回そうと思う。
初日の総評
知識は得られたが、全体的にもう少しゆっくりしたかった。