ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

ホームページづくりに勤しんでいます。

山口での生活が2週間を過ぎた。

 

従兄弟の骨折した腕の治りが思いのほか早かったため、運転代行の仕事は最初の1週間で終わりを告げた。

 

2週目からは伯母の事務作業を主に手伝うことになった。事務の仕事は初めてだったが、とりあえず伯母に言われたことをするだけなので特に問題は起こらなかった。

 

加えて、ホームページづくりをした。

先日、伯父の会社では新しいホームページ作成ソフトを購入したらしいのだが、時間も人員も足りず手を付けられていないとのことだった。せっかくなので、お遊び半分お勉強半分といった感じでガイドブック片手にソフトをいじることとなった。

 

ひとまず練習がてら伯父の会社のホームページを試しに作ってみた。

ネット関係に強い方ではないので最初は面倒くささを感じたものの、次第に面白さに気づいて今日は持ち前の集中力で一日中いじり倒した。

やはり自分には、ひたすら黙々と作業する方が向いているようだ。

 

 

一方で、どうにも従兄弟家族や職場の先輩たちと上手く馴染むことができていない。

自分がここまでコミュ障に陥ってしまったのは、ここ数年の暗黒期によるものである気がするが、思い返せば学校や バイト先でも馴染めた記憶があまりないので元からなのかもしれない。

 

ちゃんと付き合いが今でも続いている友人がたった4人しかいないことが、それを証明している。しかも、その4人とも頻繁に連絡を取り合ってるわけでもない。

 

とは言うものの、最近では家族の会話の輪に入るのにも気後れしてしまっている気がするし、やはり何かが変わってしまったようにも思う。昔の方がもう少し上手く会話できていたような気がする。

 

相変わらず会話に対して変に意識し過ぎているのかもしれない。いまいち自分になりきれない感覚が残る。やはり、たった三か月とはいえ引きこもり生活による後遺症が引き起こされているのだろうか。

 

あるいは、ここ2年ほど自分の感情を抑えつけすぎた結果も考えられる。

 

よくよく思い返してみると、それはあながち間違いではないようにも思う。

前の職場では、自分の何の気なしで発した言葉のせいで怒られたり、呆れられて鼻で笑われたこともあった。だから、自分の思ったことを話すのは憚れた。

学生時代にも、そういったことはあったとは思う。しかし、自分の発言について面と向かって非難された苦い思い出は、会話に対して恐怖心や不安感を少なからず覚える遠因になったと考えられなくもない。

 

 

伯父たちは幸いにも、自分が山口に留まって一緒に仕事をすることを歓迎してくれている様子だ。ホームページ作成を試験的に任されたのも、それを見越してのことだ。

 

地元で仕事を探すか、山口に留まって憧れのホームページづくりをしつつ事務の手伝いをするか本当に悩ましい。

 

仕事自体は魅力的だが、山口に留まってしまうと、ただでさえ縁が薄い友人との縁が完全に切れてしまうのではないかという恐怖がある。

 

山口で新たに友人を作れる自信もなく、一生孤独の中で自分を見失いそうになる恐怖と戦い続けなければならないのだろうかと考えてしまう。

 

一方で、地元で似たような仕事を探すのはかなり難しいだろうという気もする。

 

挑戦か現状維持かと言った感じだろうか。

 

さて、どうしたものか。