ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

《NZ移住編》ど田舎の島で居候している話。

昨年末のクリスマスにニュージーランドへ到着してから、約1か月が経過した。

 

最初の1週間は、北島北部にあるオークランド空港から車で南部へ移動。

温泉が有名なロトルア周辺や火山地帯のタラナキ山、首都ウェリントンなどに立ち寄りつつ南島を目指した。

フェリーで南島に到着後はひとまずワインの名所ブレナムへ向かい次の目的地を探すものの、なかなか見つからず膠着状態に。

 

約1週間ほどが経ち、ようやく滞在できそうな場所が見つけることができた。

向かったのは南島の北西部に浮かぶダービル島。それなりに大きい島なのだが、小型の船でしか渡ることができない。

 

滞在先の家では、一日4時間働く代わりに食事と寝床を提供してる所で、それまでテント泊&自炊していた身からすると快適だと言える。

 

ただ、個人的にはものすごく退屈だ。

 

周りには何もないので気晴らしにどこかへ行くこともできないし、特に物珍しいものがあるわけでもない。

もちろん自然に囲まれていて、日本では見ることのない生き物やゆったりとした時間が流れていたりはする。

考えてみたら自分の考えていた理想的な暮らしに近いようにも思う。

 

でも、まだ1週間しか滞在していないにも関わらず、退屈すぎて辛いまである。

若干ホームシックになりかかってるんじゃないかとすら思う。

 

実のところ、これはたぶん自分自身のせいなのだと思う。

英語が十分に話せないが故にディス・コミュニケーションに陥ってしまい、それがストレスに繋がっているのだ。

 

現に、共に旅をしているフランス人の友人はなんだか楽しそうだ。

彼はホストファミリーの皆んなや他の旅行者と会話をして、いろいろと情報交換しているらしい。

 

かたや自分は、他の人と上手く意思疎通が図れないので最初から敵前逃亡。

食う・寝る・働く、という日本にいても同じような生活を黙々と続けている。

 

フランス人の友人は、気を遣って「もし嫌だったらいつでも伝えてくれ」と言ってくれているのだけれど、別の場所に移ったところで同じような気もするし、自分のエゴで振り回すのも申し訳ない。

なにより次の滞在先は未だに見つけられていないわけだし。

 

環境を変えれば、自分の何かが勝手に変わることをどこかで期待していたけれど、当然ながらそんなことはない。

結局のところ、気持ちの持ちよう次第であって、自分の時間が満たされているか否かは、場所は関係ないんだろう。

 

英語のシャワーを浴びているとは言え、急に英語力が上がるわけではない。

いままでサボってきたツケが回ってきたに過ぎない。

 

 

せっかくニュージーランドまで来たのに、これでは勿体ない。

何か楽しくなる術を早く考え出した方が良さそうだ。

2023年を振り返ってみる。ちょっと早いけど。

早くも年の瀬。

またこの季節がやってきた。

 

今年は正直、精神的に辛いことが多かったように思う。鬱じゃない時期を探す方が難しいほどに。

 

別に、楽しいことが全くなかったわけではない。

去年ほどではないにせよ、新しい経験は得られたし楽しい時間も多くあった。

 

けれど、特に春から夏にかけては食欲が失せてしまうほどに気分が沈んでしまい、みんなに「やつれてる」と指摘されていた。

 

山口でよく面倒を見てくれた友人を失ったことに始まり、お金関係、仕事関係、人間関係…などなど。

かなり重めのストレスが短期間にドサっと降りかかってきてしまい、本当に参った。

 

山口に来る以前に勤めていた職場でのストレスと比べたらマシな方だ、とは思いつつも近年稀にみる鬱状態

我ながら、よく立ち直れたなぁと思う。いまだ後遺症的にすぐ落ち込みやすいけれど。

 

 

そうは言っても、捨てる神あれば拾う神あり。

ニュージーランド行きを決めたことは、自分にとって大きな人生の転機なんじゃないかと思う。

ここ数年間で自分がやってきたことが次に繋がった結果でもあるし、ある意味で怪我の功名とも言える。

 

自分の選択が今後の人生にどう関わってくるかは全然分からないけど、大きな経験になることは間違いないはずだ。

実際、4年半ほど勤めた山口の会社を離れ、そのあいだに築いてきた交友関係も一旦断ったわけだし。

 

 

なんか人生つまらんな、と思いながら過ごしてきた30年。

ここで自分にとっての大勝負に出ることで、多少は死ぬときに後悔しないようにしたいと思う。

自分の人生を振り返ったときに最期くらい、なんだかんだ面白かったかなと思いたいから。

 

30歳なんて縄文人なら、そろそろ寿命で死ぬ年齢。

しかもなんか最近、夜食したら翌日に少し胃もたれするっぽいし。

自分にとっての余生だと思って、ちょっとくらい羽目を外してもバチは当たらないと思う。

 

何にせよ、今年辛かったことは来年が良い一年になるってことの前兆かもしれない。

これは、自分が凹んでいたときに山口の友人が励ましてくれた言葉でもある。

自分もその理屈を信じているし、そうあって欲しい。

 

だから、まあ、根がビビりな自分は不安7割・ワクワク3割ってのが現状な訳だけれど、精一杯楽しんで来ようと思う。

東京に行ってみた話。

山口を離れて早ひと月。

東京で芸能活動を頑張っている高校時代の友人が、劇場の舞台に出演するという話なので観に行くことにした。

 

実は東京にちゃんと滞在するのは初めて。

ニュージーランドへ旅立つ前に日本のことを知っておかないと恥ずかしいので、ちょっとした社会勉強も兼ねている。

 

平日の夜行バスだと3,000円未満で行けるようなので、公演のある少し前の日に上京。

しばらく一人で東京観光をしてみた。

 

 

1日目は皇居周辺を散策。

早朝に東京駅付近に到着したので、とりあえず築地や銀座あたりをぶらついてみる。

9時頃には国会議事堂へとたどり着き、無料で衆議院国会を見学できるツアーに参加した。

本来なら案内を受けられるはずだったけれど、観光客が多いとかでパンフレットだけ渡された。

校外学習だろうか。小学生やら高校生やらがたくさんいた。

 

1時間ほどのツアーを終えた後、約30分掛けて徒歩で靖国神社へと向かった。

ゼロ戦や傷だらけの砲台が展示されている。資料館にも入ってみたかったけど、時間が掛かるし入館料も少し高いので今回はパス。

 

昼過ぎには皇居の見学ツアー(これまた無料)があったので、ふたたび東京駅方面へと戻る。平日にも関わらず長い列が伸びていた。

手荷物検査を受け、皇居内に入りぶらぶらと歩く。

 

何かしら説明があるものだと思っていたけれど、またしてもただ誘導に従って歩くだけ。もう少し案内してもらいたかった。

 

さすが江戸城だけあって、石垣が整然と築かれている。ピラミッドほどではないにしても、これだけ大きな石を昔はどうやって並べたのか不思議だ。

 

その後、電車で浅草寺へと向かう。

案の定、大勢の外国人がいた。寺の周囲を散策していると、アサヒビールの独特なオブジェを発見。こんな所にあったとは。

日もかなり落ちてきたので、この日の観光は終わり。

徒歩で秋葉原を通りながら安いネカフェの宿へ向かった。夕食は油ギトギト二郎系ラーメンにした。

 

2日目は、まず神田明神へと向かった。

昨晩ネカフェで近くの観光地を探していると、ラブライブの聖地だと紹介されていた。

別にファンってわけでもないけど、前に観たことがあったのでせっかくだし寄ってみる。近くには昌平坂学問所の跡地もあって、意外と歴史ある街みたい。

 

その後、日銀の横にある貨幣博物館に寄って昼からは表参道に移動。

高校時代のもう一人の友人と合流して、原宿や明治神宮、渋谷をぶらついた。

欲しいものや買いたいものがお互いあるわけじゃないので、ただただぶらつくだけ。夕方の開演までの時間つぶしだ。

ハチ公をチラ見したり、無駄にスクランブル交差点や109を上から下まで歩き続けた。

 

そんなことをしているうちに開演時間。

会場で受付を済まし劇場へと入る。

劇では友人がわりと重要な役を演じていた。話は少し理解が難しかったけど、全体的には面白かったと思う。

劇のあと、友人と合流して居酒屋で談笑。たまたま隣に居合わせた年の近い男3人組も交えて楽しい時間を過ごした。

 

2日ほど友人の家に泊まり、最終日は歌舞伎町や新宿の辺りへ向かった。

最初に行ったのは新大久保のイスラム横丁。街全体がスパイスの匂いで覆われていて、たくさん中東系の外国人がいた。

新宿には夕方頃に到着して、最後に都庁へ上った。夕焼けに照らされた都会の街並みが少しずつ夕闇に溶けていき、次第にきらびやかな夜景へと姿を変えていく。

遠くには雲の上から富士山のシルエットが覗いていた。

東京観光のフィナーレとしては悪くない。しかも無料だし笑

高速バスに乗るために東京駅へと向かうと、クリスマスのイルミネーションで周囲が飾り付けられていて、ウェディング用の写真を撮っている新婚夫婦が何組かいた。

今年もそろそろ終わりだなぁ、としみじみ思う。

 

今回の東京観光はこんな感じ。

特別、面白いことは何も起こらなかったけど、いい社会勉強になったと思う。

さすがに高速バスはやっぱり疲れた。

《山口移住編・閉幕》地元に帰ります。

ついに山口を離れる日が来た。

4年半の間に溜まった荷物とホコリを先週末に片付けて、それ以降はボランティアの家でみんなと仕事したり出掛けたりして過ごした。

 

もうなかなか会えないかもしれない人たちとも挨拶を交わせたし(全員ではないけれど)、大体のことはやり切れたと思う。

 

サラリーマンの性なのか、平日の昼間にダラダラとしているとすごく不安を感じる。将来の明確な目標があるわけでもないし、これからニュージーランドに遊びに行こうとしている。

 

自分の人生、これからどうなるのかさっぱり分からない。

それでも、行かなかったらいつか絶対に後悔すると思うし、長い目で見て貴重な経験になることは間違いない。

だから、いまは将来的な不安はひとまず置いておいて、ワーホリの準備を進めていきたいと思う。

 

思い返せば山口に住んだこの4年半、辛いことの方が多かった気もする。

仕事では新しいスキルや処世術を多少は身につけられたけど、実際にやってるときは全然楽しくなかったし精神的に削られることもしばしば。

得られるものがあったとは言え、ひとりで抱え込むにはしんどかった。

 

そんな中で、訪ねるようになったボランティア。

そこには魅力的な人たちがいて、たくさんの新しい経験をさせてもらった。去年からは外国人も遊びに来るようになって、そのおかげでニュージーランドに行く話になった。

この約2年は、わりと楽しかったかな。

 

どこでどう繋がるかは分からないけれど、自分の選択・行動が「今」になっている。

ウクレレを学んだり、投資に手を出して失敗したり、ひとり旅をして事故ったり、今更ながら大人の階段を登ってみたり…。山口に来たおかげで世界は広がったと思う。

 

この、それなりに楽しい時間をもう送れないかもしれないことは少し名残惜しいけれど、新しい自分を見つけるために、そしてせっかくのチャンスを無駄にしないために旅立つ。

 

出会った人たち・もはや住み慣れてしまった山口に別れと感謝を告げ、前に進みたいと思う。

 

短くも長かった4年半もの歳月の間に増えて溜まった荷物と思い出を車に積めて、山口を離れます。

さらば、山口。また会う日まで!

山口を去ることにした件。

10月に入り、急に気温が下がって少し肌寒くなった。

そこかしこで秋の虫が響き、季節が変わったことを感じさせられる。

今年もあと残り3か月。時間が過ぎるのは早い。

 

 

ついに山口を去ることに決めた。

前々から、山口をいつ去ろうかと考えては躊躇い、惰性で現状維持してきたわけだけれども、ついに決意を固めることとなった。

 

遡ること、この前のお盆明け。

いつも行っている農園ボランティアに滞在中のフランス人から、ニュージーランドへワーキングホリデーに行かないかというお誘いを受けた。

個人的には、退職したらヨーロッパへ向かおうかと考えていたけれど、正直なところ凄く不安だし自分の英語力(コミュニケーション力)にも自信がなかった。

 

そのフランス人は英語が堪能なので、もし一緒に行動できたのなら困ったときに助けてもらえるので心強い。

ふたつ返事で「I want to go!!」と応えた。

 

もとから秋頃には退職したいと考えていたから、あとは会社に伝えるだけ。

どのタイミングが良いかと考えていたけれど、たまたま社長と2人きりになることがあったので思い切って伝えた。

 

フランス人からのお誘いがなければ、いつまでもダラダラと続けていたかもしれない。

何よりも、とある本が退職を伝える時に背中を押してくれた。

 

今年の春頃、農園のオーナーから「アルケミスト」という本を借りて読んだ。

世界的に有名な本なのだそうだ。

その本には、人生を変える予兆を見逃してはいけない、と書かれてあった。

8月に入り、たまたま自分の仕事が落ち着きフランス人からお誘いを受けた、それは自分にとっての「予兆」だと思った。

 

もし、その本を読んでいなかったら、いまの生活を捨てることを恐れて行動を起こさなかったかもしれない。

本を貸してくれた彼と、旅に誘ってくれたフランス人には感謝。

これも運命の導きなのかなと感じた。

 

 

そんなこんなで、残り約1か月。

山口で過ごした4年半という歳月で出会った人たちに別れの挨拶を伝えながら最近は過ごしている。

 

正直言って、少しだけ未練はある。

それなりには楽しかったし、山口を離れることで、もう手に入らないこともあるかもしれない。

実際、自分自身がそれほど困ったいなかったからこそ4年半もの時間を山口で過ごしていたと言える。

 

ただ、何も捨てられない者は何も得ることができない。

特に、ワーキングホリデーなんてのは期間限定。

この期を逃せば人生で二度と挑戦できない。いろんな人に、そう言われた。

 

残された時間はあまり多くはないけれど、今できることを精一杯、悔いの残らないように過ごしたい。

 

思えば、山口も住めば都。

自然の多い住み良い所だ。

友人が突然居なくなってしまった話。

ここ数年、とある古民家で自営をしている人のところへボランティアとして毎週のように遊びに行っている。

その人は過去、国内外を問わずいろんな所に行ったことがあって、知識もものすごく豊富。

たまに感情的になることもあるから、大変に思うこともあるけれど、基本的には話していてとても楽しい。何度か人生相談にも乗ってもらった。

そのたびに、勉強になるし大きな刺激を受けることができた。

 

なにより、自分と比べたら100倍くらい行動的で、思いもしないことを常に考えつく。

それを自分は、週末にほんの少し手伝う程度なのだけれど、つまらない日々を変えるには十分すぎるくらいの時間を過ごさせてくれた。

 

彼と出会ったおかげで、ここ1〜2年がすごく楽しくて刺激的な日々だったことは間違いない。

山口から離れることになったとしても、今後も何らかの形で付き合いは続けたいし、たくさんのことを教わりたい。

 

 

そう思っていた。

けれど、彼は突然いなくなった。

 

 

2月頃に肺炎に罹ったらしく、少し辛そうにしていた。

しばらくしたら改善はしたようだったけれど、ずっと咳をしていた。

肺炎に罹ったあとは、喘息持ちになることもあると聞いたことがあったから多少は心配したものの、元気そうではあったから自分も普通に過ごしていた。

 

4月には外国人ボランティアも一緒に海辺でキャンプをしたし、大分県まで日帰り旅行もした。

ただ相変わらず辛そうにしていて、それにも関わらず病院にはあまり行ってない様子だった。

肺炎の副作用からなのか心臓にもかなり負担が掛かっているらしく、医者には突然死するリスクがあると言われたらしい。

けれど、彼は「病院は居心地が悪い」とか言って、入院を勧める医者の言葉を無視して仕事を続けていた。

自分も少し説得を試みたけれど、彼の意思は固いらしく、「仮に死んだとしても人生に悔いはない」なんて言うものだから、逆に「かっこいいな」なんて思わされてしまった。

 

ゴールデンウィークには、ヒッチハイクをしたいと言った自分に対してアドバイスをくれたり、帰省先から山口に戻ったときにも辛い体を動かして駅まで迎えに来てくれたりした。

本当に友達思いの人で、思わず「自分は他人に対してここまで献身的になれるだろうか」と悩んでしまいそうになることもあった。

 

自分が彼と最後に会ったのは、彼がいなくなる2週間ほど前。

あまりに体が辛いというので、近場の漢方薬局へ薬をみんなで探しに行こうという話になった。

 

途中、春にみんなでキャンプをした海に立ち寄って弁当を食べた。

彼は一時的には落ち着いた様子だったけれど、やはり辛いらしく昼食は取っていなかった。

 

自分はというと、職場でのストレスが溜まっていて、彼にあまり気を回すことができず、ひとり悲観に暮れていた。

 

その日の夜は、カレーをみんなのために作った。

いままで彼が料理係だったわけだけれど、そんな調子なので代わりに作ってあげたのだった。

しかし、彼は当然食べられるわけもなく、とりあえず自分一人でカレーを食べることになった。

 

その日は日曜日だったので、少し彼と話をしてから自宅に帰るつもりでいた。

でも、その日は彼にとって特に辛い日だったらしく、「今日は大変で話せないから帰った方がいい。また今度ゆっくり話そう」と言われた。

たしかに長居するのも悪いと思ったので、「お大事に」とだけ伝えて帰ることにした。

 

そして、それが彼との最後の会話になった。

 

翌日、彼が入院したと彼の家族から連絡があった。

あんなに病院を嫌がっていた彼が入院したのだから、よほど辛いのだろうとは思ったけれど、病院にいるのは病気を治すプロ。

きっと彼も元気になって帰ってくるのだろうと思った。

だから、正直いってあまり心配はしていなかった。だって、医者なら治療法も分かってるだろうし。

 

 

彼が入院してから1週間が経った日の早朝、1本の電話がなった。

彼の友人からだった。

少しドキッとしたけど、彼が自分と話したいからと言って掛けてくれたという。

LINEのビデオ電話越しに彼の様子が映し出された。かなり、やつれていた。

 

自分に対して用があるとの話だったから、彼の名前を呼びかけたけど、あまり反応はなく、返ってきた言葉も何を言っているのかよく聞き取れなかった。

とはいえ、別の病院に移る話も出ている様子だったので、なんだかんだで大丈夫なのかなという印象を持った。

 

 

しかし、その翌日には友人から彼が危篤との連絡が来た。

そんなことを聞いて家でジッとしてもいられないので、仕事終わりに北九州市まで車を走らせ見舞いに行った。

 

けれど、その時にはすでに彼の意識はなく、機械で延命されているような状態だった。もう復帰は難しいだろうとの話だった。

皆、最後のお別れを伝えにきていた。

自分も感謝の言葉を伝えた。

 

でも、そうは言っても、もしかしたら元気になって帰ってくるかもしれない。

そう思いながら、その日は病院を後にした。

 

けれど、その思いも虚しく、翌朝には亡くなってしまった。

信じられなかった。

 

 

彼と過ごした時間はかなり少ない。

本当なら、これからももっと濃い時間を一緒に過ごしたかった。

しかも、彼への恩返しも全くといってできていない。

前兆はあったとは言え、突然のことでとても現実を受け入れることができない。

 

 

けれど、彼は既にかなり密な時間を過ごさせてくれたのも事実だ。

それは紛れもないない事実。

 

これから、自分がどういう人生を歩むかは分からない。

それも含めて、彼といろいろ話したかったけれど、彼はもういない。

 

だから、せめて自分がいままで彼から聞いてきたこと、学んだことを胸に、より良い人生を送れるよう今を精一杯生きるしかない。

それが、彼の教えてくれたことだ。

 

彼と会えて本当に良かったと思う。

彼のおかげで自分の人生について深く考えることができた。

 

本当に、本当にありがとう。

また会えることを楽しみにしたいし、良い報告ができるように自分自身も頑張りたい。

一瞬だけ春が来たはなし。

人生で初めて彼女的な人ができた。

正式にお付き合い、というわけではなかったから「的な」という表現になってしまうわけなのだけれど、これは自分史上で未だかつてない出来事には違いない。

 

2023年の春の訪れとともにやってきた彼女との悲喜交々を少し書いてみる。

 

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彼女と出会ったのは昨年末だったように記憶している。

 

普段、遊びに通っている農園で家政婦さんとしてやってきた。

英語が上手な人だったので、最初は一緒に勉強したり教わったりして会話をしていた。

何回か話しているうちに仲良くなり、夜遅くまで薪ストーブを囲って話したり、秋吉台まで星を見にドライブしたりした。

 

平日は仕事があるので自分の家に帰っているのだけれど、会えないときもLINEを使って会話をしていた。一応、英語の勉強という名目だったので、英文を送り合っていた。

 

そんな日が続いたある日の夜、唐突に「I love you」と書かれたメッセージが送られてきた。

どういう意図なのだろうと思いつつ、深夜テンションで送ってしまったのかなと自分の中で処理することにした。

事実、翌朝には「変なメッセージを送ってしまって、すみません。忘れてください。」といった旨のLINEが届いたので、たまたま人恋しかったのかなーと思った。

もちろん、そうは言っても多少は意識してしまったけれど。

 

しばらく経ってから、彼女から「少しお話ししたいことがあるんで時間もらえますか?」と話しかけられた。

何の話だろうと思いつつ、期待半分くらいの気持ちで彼女についていくと、「好意があります」と伝えられた。

 

 

ついに自分の人生に春が来た!

飛び跳ねるほど嬉しい!!…とは、意外にもならなかった。

 

なんとなく勘づいていたせいもあるかもしれないけれど、そんなに自分は彼女のことを恋愛的な意味で好意があるわけではなかった。

それに、彼女は自分より10歳ほど年上だったので、それも関係したかもしれない。

 

けれど、そうは言っても断る理由もなかったので了承した。

彼女側の要望としても、付き合うというよりは、彼女が好きな時に「好きだ」という思いをこちらに伝えたいという謎な話だったので、それについて特に負担があるわけでもなくお好きにどうぞって感じになった。

 

 

自分が農園に向かうのは土日だけなので、会えるのは週に一回程度。

それでも、空いた時間に近所を一緒に散歩したりした。

向こうから手を繋ぎたいと言われた時は不慣れな経験すぎて、それだけで息子が元気になってしまった。

 

彼女はスキンシップが好きみたいで、キスやらハグやらをよくせがんできた。

こちらは、その辺りの耐性が全然ないので、最初の頃はずっとドギマギしていたのだけれど、何回もやっているうちに慣れてきた。

そんなことを繰り返しているうちに、どうやら自分はそういうスキンシップがあまり好きではないらしいということも分かってきた。

でも、嫌いではないから彼女が求める以上は受け入れた。

 

 

ある夜、一緒にドライブに行こうと誘われた。

彼女の運転する車で1時間ほど離れたビーチへと行き、少しセンシティブな会話をした。

そうやってお互いの精神的に弱い部分を晒しあったあと、自分の家に彼女が来ることになった。

 

最初は少し休憩するだけの話だったのだけれど、結局は泊まるという話になり一緒のベッドで寝ることになった。

 

男女が一緒の布団に入って素直にただ寝るだけのことがあるだろうか。

据え膳食わぬは男の恥、という言葉もある。そうして、お楽しみ会は始まった。

 

去年、風俗には行ったけれど、素人さんとやるのは初めての経験。

彼女への好意は未だ自分でもよく分からなかったけれど、欲には勝てなかった。

とはいえ、本番まではしなかった。

その後も数回ほど彼女は泊まりに来た。

 

 

しかし、そんな日々も長くは続かなかった。

告白されてから一か月ほどが経ち、彼女は農園の家から去ることになった。

どうも家主と上手くいかなかったらしい。

 

県外に出るとのことだったので、当然会う頻度は減る。

少し残念ではあったけれど仕方のないことだ。彼女にも、他にやりたいことがある様子だった。

 

彼女が山口を立つ前日、再び家に遊びに来た。

近所の付け麺屋さんで一緒にご飯を食べた後、家の風呂に入りベッドへ横になった。

 

会うのが最後になるかもしれなかったので、少しワガママを言った。

卒業させてください、と。

 

彼女はあまり乗り気ではなかったようだったけれど了承してくれた。

その日はお互い疲れていたので、わりとすぐに寝てしまったけれど、翌朝2回戦することになった。

 

 

昼には山口を出るとのことだったので、早めに家を出て少しドライブをした。

ちょうど桜が咲いていたので川岸に車を停め談笑した。

 

最後までキスやらハグやらを求めてくるので、あまり乗り気ではなかったけれど自分も次はもうないかもしれないと思い快諾した。

 

新幹線へと乗り込む彼女を見送った後も、しばらくはLINEでメッセージを送り合ったり電話したりした。

 

数週間が経ち、「これは嫌だ」「あれは嫌だ」とクレームを付けてくることが多くなった。彼女には色々とこだわりがあるらしかった。

前々から、そういう傾向はあったのだけれど、会う頻度が減ったせいで彼女にとっても思うところがあったらしい。

 

自分はあえて仲を違う必要性はないように思っていたので、いまの関係を維持する方向で考えていたのだけれど、彼女としては距離を置きたいらしかった。

 

半ばケンカ別れのようになってしまい、そんなこんなで自然消滅。

ひと月だけの春がこうして終わってしまった。

 

特に未練があるわけでもないのでダメージは当然ないわけだけれど、結局のところ彼女は何がしたかったのだろうとは思った。

彼女いわく、昔はメンヘラだったらしい。それを聞いて、なるほどなと思った。

その片鱗はいまも多分にある。

 

とはいえ、自分にとって大きな経験になったのも事実。

彼女が自分に思いを伝えてくれたこと、いろんな経験をさせてくれたことに感謝したい。