ひとりぼっちの休日
一人暮らしを始めてから一週間が経った。
先週くらいから伯母に料理を教わっていたので、時おり焦げ付きながらも見よう見まねで何とか作っている。
しかし、料理はあまり好きではないかもしれない。
まだ手慣れていないせいもあるかもしれないが、面倒臭くて仕方がない。
世の主婦は献立を毎日考えるのが憂鬱だと聞いたことがあるが、今まさに身をもって体験していると言える。
そうは言っても、作らなければ飢えてしまうので、ひとまず可もなく不可もないような料理を毎日せっせと作っている。
家族の栄養バランスや好き嫌いを考えなくて良いだけ悩みはまだマシかもしれない。
それに、幸いにも不味くて食べられないようなことは、ほとんどない。最低限の料理センスはあったらしい。
ただ我流すぎて、人様にご馳走できるような代物ではない。
何せ自分自身なんの料理を作っているのか分からないまま、成り行きで調味料をぶち込んでいるだけなのだから。ただのごちゃ煮だ。
まだ料理は始めたばかりだから、楽しさが分からないのは当然かもしれない。何事も出来るようになってからが楽しいものだ。
一方で、自分だけの料理は面倒なだけで雑になると聞いたこともあるが。
とりあえずは、それなりに栄養バランスなんかを考えつつ、作って見ようと思う。
そして、週末。
今週末は一人っきりで過ごす初めての休日となった。
土曜日は、天気が良かったので午前中は部屋の掃除を行なった。
最近、改装した比較的綺麗な部屋だとは言え、ところどころカビが生えていたり土ぼこりで汚れたりしていたので、スポンジや雑巾、使い古した歯ブラシで磨いた。
そのおかげで、多少は綺麗になったと思う。
雑巾で拭き上げたベランダの手すりに布団を干し、三日分の服も洗濯した。
簡単に昼食を済ませたあと、午後からは家具などを見に出かけた。
いま家には棚がないので、電子レンジやオーブントースターが床に置きっ放しになってしまっている。炊飯器も椅子の上に乗っかっているような状況だ。
部屋が散らかるので、早いところ棚が欲しい。
とりあえず、車で近所のリサイクルショップに行ってみることにした。
何度か伯母たちと車で出掛けているとは言え未だに道を覚えていないので、頼りない記憶を頼りに運転した。
グーグルマップでも使えればいいのだが、今となってはそれは無理だ。ネットが繋がらない。
正確に言うと、全く繋がらないわけではない。繋がりづらいだけだ。
伯父の家から離れ、wifiが使えなくなってしまったので、ダイレクトに通信制限が掛かってしまう。
まだ月初めだというのに、この状況は少々まずい。月末には、まさにギガ難民になりそうだ。
何はともあれ、淡い記憶を辿りつつ何とか目的地のリサイクルショップに着くことができた。
しかし、色々と物色したものの、いまいち求めているようなものには巡り会えなかった。仕方なく店を出たのだが、ついでなので、本屋や服屋も覗いてみた。
その店はちょっとした商業施設になっていて、色んな店が立ち並んでいた。
気になる本や大きいカバンを見たのだが、すぐに疲れた。どうも人混みは疲れる。頭がくらくらしてくる。
急に便意を催したのでトイレだけ行って、店を後にした。
その後も、勘を頼りに車を走らせリサイクルショップを始めとした店に入ってみたのだが、やはり欲しいものは見つからなかった。
しかし、代用品は見つけた。本棚だ。
防火対策的には一抹の不安を感じるが、適当に改造なんかをすれば大丈夫だろう。
と、言いつつも結局買わなかった。
要は優柔不断なだけだった。
嫌なことは後回し。もう一度、部屋の中でシミュレーションをしてから次の日に改めて来ることにした。
途中で見つけた散髪屋さんで髪を切ってもらい、その日はそのまま帰った。
そして翌日。
雨がざんざか降っていた。
天気が下り坂になることは知っていたが、まあまあ普通に降っていたし、いざ出かけるとなると非常に面倒に思えたので結局家に引きこもった。
飯もとらずに一日中布団にくるまって、テレビ→読書→昼寝のサイクルを繰り返した。
さすがに夜には、腹が減って仕方がないので料理を作った。またも、よく分からない魚入りの煮物ができた。
自分の優柔不断と物臭が原因とはいえ、当分は不便な生活を続ける必要がありそうだ。
ところで、今日は一言も言葉を発していない。ひょっとすると初めての経験かもしれない。
何だかんだ言っても、独りぼっちは寂しいものだ。
あれほど孤独を望んでいたのに、やはり一人は寂しい。つまらない。
もとから話し好きではないにしても、テレビしか言葉を発しないのは虚しい。
ほかには、時計の秒針音と、冷蔵庫のモーター音と、自分が布団と擦れる音が部屋に響くだけだ。あと、雨音くらいか。
ラインで親が時おりメッセージを送ってくれるので、それだけが他人との接点だ。
スマホが無かったら、ウサギみたく寂しさで死んでるかも。
そういえば、大学で二週間の韓国留学に行ったときも、一人部屋かつwifiが使えない状態だったから、かなり寂しい思いをしたなあ、なんてことを思い出した。
一方で、他人のしがらみから離れられてホッとしている自分もいるのも事実。
人恋しさと孤独の安心感という相反するものが共存している感じだ。
慣れもあるだろうけど、ずっとこの生活は嫌だと何となく思う。
でも、人嫌いである限り仕方のないことなのだとも思う。我ながら不器用だと感じる。
どうすれば心の隙間を塞ぐことができるのだろう。
いま、高校時代の後輩は友人とタイ旅行に行っている。
昨年末、話に出たあれだ。たまに連絡をくれる。羨ましい限りだ。
自分にも、GW に従兄弟とインドに行こうかという話が出ているものの、交通費だけで30万を超えるというので、迷っている。
従兄弟が観光地にはあまり興味がないと言っているのも、悩みの種だ。
本当に人の悩みは尽きないものだ。