ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

平成最後のクリスマスです。

メリークリスマス。今日は平成におけるラスト・クリスマスだ。

 

かといって特に予定があるわけでもない。

例年のことだが、家族と一緒にいつもよりほんの少し豪華なディナーを囲むだけだ。一緒に聖夜を過ごせる家族がいて、クリぼっちではないだけマシなのだろうけれど。

 

 

平成最後の天皇誕生日による三連休となった先週末、母親の実家のある広島県に行った。

 

母親と二人だけで行き、その道中では久しぶりに車を運転した。会社勤めをしていたころは、営業マンだったので毎日のように運転していたが、退社してからはしばらく運転していなかった。

 

三ヶ月ぶりの運転は、ほんの少し緊張した。職場で運転していたのが軽自動車だったこともあるかもしれないが、いまいち感覚が戻らず苦戦した。

 

 

なんとか無事に祖父の家に到着し、祖母が昼食に作ってくれた鍋焼きうどんを食べた後、墓参りに行った。

墓は祖父側と祖母側に行くのが通例なのだが、最近は祖父側にしか行っていなかった。

 

今回ひさしぶりに祖母側の墓参りに行ったのだが、お墓がリニューアルされていて驚いた。前までは、もはや誰が入っているのか分からないような朽ち果てた墓石がいくつも並んでいたのが、一つの場所に固められて整然と並んでいた。

 

母親はすでにリニューアルされたことを知っていて、逆に自分が知らなかった事に驚いていた。

 

祖母によると、ここ2~3年に整備されたとのこと。

ここ二年ほどは祖父に会いにきていなかったし、今年の夏にきたときも祖母側の墓参りはしていなかったので、今回初めて知ることとなった。

 

自分自身は近ごろ、精神的に停滞しているような気がしていたが、確実に時間は流れていることを実感した(ジジ臭い話だが)。

 

二日目は、家から一時間ほど車を走らせたところにある温泉に向かった。

途中、道の駅に立ち寄り野菜や工芸品を物色した。昼食は店内のバイキングで取った。しかし、生活リズムの乱れによるものか近ごろ食欲が落ちているので、あまり多くは食べられなかった。むしろ祖父たちのほうが食べていたかもしれない。

 

 

祖父たちとバイキングに行くと、去年亡くなった父方の祖母のことを思い出した。

 

祖母が亡くなる半年前、父親と祖母の三人でバイキングに行った。その時点で、祖母は病気を発症しており、足元もおぼつかなかったので一緒に料理を取りに行ったものだ。

 

 

いま一緒にいる祖父母もいずれはいなくなってしまうだろうことを考えると、少し物悲しくなった。

 

しかし、祖父母たちは久しぶりの外出を喜んでくれていたようだ。

道の駅からは自分が車を運転したのだが、祖父たちは孫に運転してもらうことに時間の流れを感じているようだった。自分自身、二人を乗せて運転できたことを嬉しく思った。

 

温泉に着くと、祖父は少し眠ってから風呂に入ると言い出した。祖母と母親は先に入っていったが、自分は祖父と一緒に入るべく一時間ばかりロビーのソファーで時間を潰した。

 

しかし、祖父が一向に起きないので声を掛けてから、一人で入浴することにした。

雨が降ってはいたが露天風呂もあり一時間半ほど風呂を堪能した。

 

待てど暮せど祖父が入ってくる気配がなかったので上がって見ると、どうも祖父は体調が優れないのでパスするとのことだった。

 

祖父が温泉に行きたがっていたし、自分も少なからず楽しみにしていたので残念ではあったが、また一緒に行きたいと思う。

 

夜は家で、ボタン鍋を食べた。イノシシ肉が入っていたのだが、臭みは殆どなく歯ごたえがあり美味しく頂いた。

 

 

三日目は従兄弟たちが遊びに来た。

特に何をしたわけでもないが、十歳以上離れた子たちも随分と大きくなり、こっちがどう接すればいいのか分からなかった。

 

人間不信になりかかっている自分の精神状態も原因なのかもしれないが、何を話すにも変に意識的になってしまい、いつもどおり話すことができなかった。

 

とは言え、楽しい時間を過ごせたのは間違いない。

なんとなく人が恋しい今の季節、膝の上に乗ってきてくれる子どもは可愛いものだ。

 

昼食にみなでちらし寿司を食べ、夕方頃には祖父母たちと別れ帰路に着いた。

結局、祖父母たちには仕事を辞めてしまったことを打ち明けることはできなかった。ちゃんと話すべきだったかもしれない。しかし、恥もあって話すことはできなかった。

 

 

何はともあれ、今年ももう終わり。

今年の抱負は、歳男であることもあって、なにか新しいことに挑戦するということにしていたのだが、結局のところ空回りで無駄に足掻いていただけのように思える。

 

終わらない地獄のように思えた仕事を辞められたのは良かったのかもしれない一方で、いまも自分を見失っているし、ちょっとしたストレスでも喉が痛むようになってしまった。

 

怒声を浴び続けたとこによって、少しはストレス耐性がついたかと思ったのに、むしろ心身ともに弱くなってしまったような気さえする。これも、引きこもり生活によるものだろうか。

 

今年は歳男だったが、厄年でもあった。来年も後厄ではあるが、今年よりはいい年にしたいと思う。消費税も10%になるというし、海外旅行にでも行きたいものだ。

 

 

平成最後のクリスマスは、予想通り少し豪華な夕食を食べて過ごした。惣菜みたいなチキンと、全くクリスマスとは関係のない柿の葉寿司が食卓に並んだ。

 

このメニューに不満があるわけでもないが、ほんの少しだけ物足りなさを感じた。大学生の頃は、所属していたボランティアサークルで先生主催の餃子パーティーなんぞを開いてクリスマスっぽいこもをしたものだ。

 

そんなリア充的なイベントも知人もいなくなってしまったいま、クリスマスは普通の日と大差ない。実に悲しいことだ。

 

しかし、今日は先日渡し損ねた妹への誕生日プレゼントを渡し、そこそこ喜んでくれたようなので良かったと思う。

 

もしかしたら自分が唯一自分らしく接することのできる相手が妹なのかもしれない。悲しいかな、そんなことを考えてしまう自分がもどかしい。

しかし、妹には感謝すべきだろう。何だかんだ同等に自分を受け入れてくれる存在なのだから。

 

今日は、そんなことを感じたクリスマスだった。

 

 

二週間ほど前に山口から戻ってきたあと、一念発起して校正の仕事に応募して先週は面接に行ったのだが、見事に撃沈した。

 

あまり行く気はなかったものの、さすがに受かるだろうと思っていたので、少しショックだ。

今はどうにも上手くいかないものだ。

 

 

この投稿が年内最後のものになるかもしれない。このブログもいつまで続くかは分からないが、とりあえずひと段落着くまでは投稿していこうと思う。

 

 

来年こそは良い年になることを願って…。

よいお年を!