久々に自分の近況を綴ってみようと思う。
最近、GWの記事ばかり書いていたが、この6月中も山口市を起点に色々と観光めぐりをしていた。
美祢市や防府市や島根の津和野に一人でぶらっと行ったり、伯母と大量の蛍を見に行ったり、先日講習会で知り合った友人と岩国までご飯を食べに行ったり…。
しかし、いちいち記事にしていたら、また面倒くさいので割愛。
暦は7月に入り、今年もはや下半期に突入。
ブログを始めて今日でちょうど一年になる。
その記念というわけでもないが、山口県周南市の大津島という所に行ってきたので、今回はその紀行文を書いていこうと思う。
ガイドブックにもあまり載っていないところなので、ご興味のある方はご一読してもらえると幸いだ。
徳山港から大津島・馬島港へ
大津島には橋が架かっていないので、船で渡る必要がある。
なので、大津島へのフェリーが出ている徳山港までまずは向かう。
回天記念館は大津島の「馬島」というところにあるらしい。
大津島自体、本土からはけっこう距離があるらしく片道40分もかかる。それに応じて、料金も往復1420円と少し高め。
甲板に出て久しぶりに潮風を浴びつつ、ささやかな船旅を楽しんだ。
回天記念館へ
大津島に着いたのは、11時過ぎ。
回天記念館へは港から徒歩15分ほどで着くらしいので、さっそく向かうことにした。
船で一緒だった家族連れや老人たちと連れ立って、小高い山を登っていく。
小学校の脇を通り抜けると、山の斜面と塀に挟まれた妙に薄気味悪い道へ。なんだか薄暗い。
少し歩いて行くと拓けた場所に出て、看板が設置してあった。
今は小学校の敷地になっているそうだが、戦時中にはこの辺りに回天の整備工場や兵舎、出撃用の桟橋があったらしい。
ちなみに、さっきの塀は目隠し用のものらしく、2メートルほどの高さがある。
このことから、回天はかなり隠密性の高い作戦だったことが伺える。
さらにそこから山を登ること約5分。
回天記念館に到着。
記念館へと続く道には特攻で命を散らした者の名前が記された石パネルが整然と並べられており、建物脇には回天やそのエンジンが展示してあった。
回天は魚雷を改造したものらしく、操縦性も内部の快適性もかなり劣悪。
こんなものが自分の棺桶になるかと思うと身の毛がよだつ。
黒々と光り、禍々しさすら感じさせる回天を後にし記念館へ。
入館料は300円。わりとリーズナブルだ。
館内では、回天が作成されるに至った経緯や性能などを知ることができ、殉職した者の遺書なども展示されている。
内容的にはGWに行った知覧の特攻平和会館と近い。
実際、神風特攻隊と回天は同時期に構想を練られたらしいので、その点においても共通点はある。
ただ、こちらの記念館はスペース的にもかなりコンパクトなのでスムーズに観ることができる。30分もあれば十分といったところだろうか。
しかし、25分の映像資料があったり殉職者の遺品があったりと、展示物自体は充実しているので、ちゃんと観れば一時間は居られる。
展示品を写真に撮ることはできないが、若い命をかけて国を守ろうとした人たちの肉声や肉筆を目の当たりにすると、思わず切ない気持ちになる。
彼らの国に対する責任感の重さは、現代の若者とは違う。
色んな意味で(反面教師としても)見習うべき点があるのだろうと感じた。
島食堂ひなたで昼食
記念館を出る頃には昼過ぎになっていたので山を下りて、島で唯一の食堂「ひなた」で昼食をとることにした。
店はログハウス風で、窓からは海も見えるので雰囲気はけっこう良い。
注文したのは「ぶっかけ島うどん」&セットドリンクの「大津島産スダイダイのスカッシュ」(900円)
料理を待っている間、店員さんが水を提供してくれたのだが、なにか匂う。
聞くところによるとミントが入ってるらしい。
自分はミント好きだから別にいいけど、好みは分かれそうだ。
しばらくして、料理が出てきた。
しかし、一番衝撃を受けたのはスカッシュ!
大津島の特産らしいスダイダイの酸味と甘味のバランスがすごく美味しい。
柑橘系、最高!
うどんの他にカレーもメニューにあって、そっちには隠し味としてスダイダイのジャムが入っているらしい。
1200円、と少し高めだったので今回は諦めたが今度機会があったら食べてみたい。
展望台と魚雷見張所跡
回天記念館に行く途中に少し面白そうなところが看板に示されていたので、少し引き返して行ってみることにした。
しかし、それがけっこうハード。
ある程度整備されているとは言え、ほとんど山道。
イノシシが土を掘ったような跡を横目に、ひたすら登山。
竹林の中を進むので少し日陰になっているのが救いだが、それでも気温は30度近い。汗が滝のように噴き出してくる。
最初の看板から歩くこと約20分、ようやく最初の目的地である展望台に到着した。
…が、取り立てて眺めがいいわけではない。
たしかに周南市街を遠くに眺めることができるが、草木が邪魔して視野は狭いし、謎のモニュメントが立っているだけ。
まあ、せっかく登ってきたので写真だけ撮って、次の目的地へ。
向かったのは、展望台からすぐ近くにある魚雷見張所跡。
うーむ。こちらも何とも言えない感じ。
こういうボロい建物って街中でも結構ある気がする。
こちらも決して眺めがいいわけではないが、戦争の遺構として一見の価値がある…かもしれない。
そういえば、ハワイにも似たような見張所跡があった気がする。
比べようもないだろうけど。
いい運動になった。
回天訓練基地跡
山を下りて、再び戦争遺構へ。
こちらは、日本で唯一残っているものらしいので少し期待が膨らむ。
基地跡にはトンネルを抜ける必要がある。
回天に乗る訓練兵も、このトンネルを通って訓練発射場である基地まで技術者とともに向かったらしい。
こちらも怪しげな雰囲気なので「千と千尋の神隠し」みたく、気づいたら異世界に飛ばされそうだ。
トンネル内部は路面以外、当時のままにされているとのこと。けっこう綺麗に掘られている。
ただ、トンネル内を歩き回っている巨大フナムシが気持ち悪い。
路面は整備されてはいるが、トロッコのレール跡が示されていて、イメージを膨らませることができる。
途中、レールが複線になっている部分があり、その辺りでは説明書きされた写真が展示されていた。
窮地に追いやられた日本軍は回天の乗員を募集して、1300人もの若者を集めたらしい。
それが多いのか少ないのかは分からないが、それだけの若者が日本の未来のために命を託したのだなあと感じた。
トンネルを抜けると、目の前に基地跡が見えてきた。
すると突然、野太い男の声が話しかけてきた。
びっくりして辺りを見渡すと、どうやら看板横のスピーカーが解説してくれているらしい。
正直、心臓に悪い。
説明を聞きつつ看板を読んで、トンネルを振り返ると、今度は入口が蔦に覆われておりラピュタのような雰囲気。少し風情がある。
スピーカーの説明を聞き終え、基地跡へと足を進める。
基地は海岸から海へせり出しており、まさに砦のようになっている。
辺りの海は綺麗に透き通っており、基地跡は小魚の住処と化している。
まさに「国破れて山河あり」って感じだ。
ここから訓練兵は回天の操縦スキルを磨くべく、出発して行っていたのだそうだ。訓練中に亡くなった人もいたらしい。
どんな気持ちで訓練に臨んでいたのだろうか。平和ボケした自分には到底想像もつかない。
ただフェンスに吊られた千羽鶴を見て、彼らのおかげで今があるのだろうと感じた。
島を散策
とりあえず島の観光地巡りはこれで完了。
時間はまだ15時なので、せっかくだしブラブラ散策していることにした。
…しかし、何もない。
家しかない。
漁村らしく坂道に所狭しと家が建っているのだが、そこが若干尾道らしいだろうか。路地っぽさとか。
猫も地味に多いので、そこも尾道らしさを感じなくもない。
井戸や乱雑に組まれた石垣があるなど、いかにも田舎っぽい街づくりだ。
何もない感じが逆に良いのかもしれない。
辺りには、波音と船のエンジン音と、トンビやセミの鳴き始めた声くらいしか聴こえてこない。
無心でボーッとする為には絶好の場所だ。
30分ほどウロウロしたが何も見つからず、自分自身そういう思いに行き着いたので、ぼんやり海を眺めることにした。
陽も傾き始め、船の出発時刻が迫ってきた。
16:40発で、それを逃すと一時間待ちだというので、それに乗ることにした。
乗船券売場のお婆ちゃんと少し話をしてみた。
買出しに行くのも大変そうだ。
週一で本土に出るらしいが、交通費だけでも馬鹿にならない。
なんと言っても土産品すらない。
気休め程度にクリアファイルは置いてあったが、その程度。
こう言ってはなんだが、過疎問題は深刻そうだ。
ちなみに、最後の最後に見つけた観光地が樹齢350年の椿。
林の中に紛れるようにして立っている。
大津島での最後の見納めとして、巨樹に挨拶した。
まとめ
大津島は、平和学習ができるとともに、何もないのんびりとした時間を過ごすのに最適な島だった。
おまけ
帰路の途中で、防府天満宮に寄った。
七夕ということで祭りを開催しているとのことだったからだ。
どうせ笹が何本か立っているだけだろうと思っていたのだが、想像以上にゴージャスで驚いた。
もう少し日が暮れるとライトアップされるらしいが、カップルやら家族連れやらの興奮に呑まれて、とてもその時間まで待てそうになかったので帰ることにした。
来年は、講習会で知り合った友人と来てみてもいいかもしれない。
ブログを始めて今日で一年。
あれから早かったような長かったような…。
あの頃とは色々と状況が変わっているが、一年後の七夕はどんな自分になっているだろうか。
楽しい気分で迎えられていられるよう、星に願いを。