ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

ひと月のニート生活を経て。

ちゃんと正社員として最後に出社したのが10月1日だったから、今日で丸々一ヶ月経ったことになる。あれから随分と秋も深まり、昼間ですら寒さを感じるようになってきた。

 

 

前談として、今回の投稿は今までの流れ的にはイレギュラーだ。

今まで律儀に週一回のペース、より正確に言うと毎週末に記事を投稿してきた。しかし、ウェブライターを目指しておきながら、その投稿頻度はあまりに少なく、それ故に文章作成スキルもなかなか向上できていないような気がする。なので、今後はもう少し投稿頻度を増やしていこうと思う。基本的には毎日だ。そもそも日記代わりなのだから、可能な限り毎日書き綴っていこうと思う。

 

 

さて、話を戻そう。

とはいえ、話を戻したところで日々の生活に大きな変化があったわけでもなく、相変わらず怠惰な毎日を過ごしている。仕事をしていた頃は、あまりの自由時間の無さに腹を立てていたが、今となっては逆に時間があり過ぎて困る。あまりに供給が多いと持て余してしまうものだ。何事もバランスが大事なのだなあ、とつくづく思う。

 

前回の投稿で、タイへのバックパッカー旅行計画を立てたと記した。あれから2日後くらいに、母親にその件について話したのだが、案の定反対された。お互い感情的になってしまい、今も話は進展していない(一時休戦状態)。

加えて自分自身も旅行に対して面倒臭さが早速出てきて、現実的に考えても馬鹿げているように思い始めたので、行くかどうか悩んでいる。

 

思い返せば、大学時代にも授業の一環で台湾と韓国に二週間程度の留学に出かけた経験があるのだが、その時も自分の優柔不断さには苦労させられた。まずは、その授業を取るか否かを半年くらいかけて悩み、実際に行ってからも女々しいことに当初は後悔した。今となっては行って良かったと思えるのだが、当時は一緒に行くメンバー内に仲良い人がいなかったこともあり、結構行くか否か悩み苦しんだ。

それでも重い腰を上げられたのは我ながら気が触れていたと思う。良い意味で。

 

その点で言うと、今回は友人と行くことになりそうなので心配いらない。たぶん寂しくはならないし、良くも悪くも腰の重い自分を担ぎ出してくれる可能性だってある。彼も優柔不断なところがあるので必ずしもそうとは限らないが、行動力はある奴ではある。

要は自分の気持ち次第なのかもしれない。

 

しかし、行って良いものなのか否か本当に悩ましい。母親の言う通り、行ったからといって何が変わるわけでもないだろう。旅行したところで虚しくなるだけだということも今までの経験上知っている。

 

行動してもいないのに、あれこれ考えて何もしないのは自分の悪い性分なのだが、「自分探しの旅」みたいな仰々しい大義名分を掲げて出ていくだけの意味が果たしてあるのだろか。常識的には就活をするのが当然なのだから、少なくともまずはバイトでも始めるべきなのだろう。

 

それに、彼にはまだ会社を辞めたことを伝えてはいない。有休を利用して行くということになっている。今度また会う予定があるので、伝えてみても良いかもしれない。真実を伝えたところで何が変わるか全く分からないが、もしかしたら一人でモヤモヤと考えているよりはマシということもある。

 

そもそもそんな事を言い出したら、旅行する度に意味を見出す必要になるのか、という話になる。とはいえ、旅に出る時期も期間も通常とは異なるので、悩ましいことには変わらないのだが。

 

 

最後に、自分は本当にライターという職に向いているんだろうかという不安を吐露してみる。この記事だって自分のことを書き起こすだけのことなのに、ここまで記すのに一時間以上掛かっている。他の人の素人ブログを見ていても、結構おもしろくて読みやすい。それに引き換え自分のブログはどうだろうか。客観的に自分を見つめるのはどうにも難しい。

 

加えて、ライターとは関係ないが、ブログを見る限り他の人はそれ相応の理由があって退職を決意しているようだ。具体的には病んでいる人もいる。不幸自慢で競い合っているわけでもないし、病んだ者勝ちというわけでもないだろう。実際、自分もかなり辛い思いをしたのは事実だ。しかし、特筆するほどのレベルではないので、ただの甘えで逃げ出しただけではないかと不安になる。

 

それも、おそらく事実だろう。上司からも逃げだと言われたし、親ですら少し言ってきた。一方では、未だ会社に留まり続けていることを想像するとゾッとするし、もはや後悔も未練も殆どない。

 

 

何はともあれ、時間に余裕があると碌なことを考えない。ずっと家に引きこもっていると、脳みそが腐って粘着性の液体を分泌しているような感覚に陥る。

 

聞くところによると、哲学は奴隷制が敷かれて暇になったギリシア人によって始められたのが起源らしい。きっとそれ以前は生きるか死ぬかの忙しい毎日に追われて、自分の生きる意味など考えてはいなかったのだろう。

そう考えると今の時間は必要に思えてくる一方で、そんな答えの出ないだろう問いを考え続ける馬鹿馬鹿しさもある。そもそも、そんなことは思春期のときに落とし前を付けておくべきだ。24歳のオッサンが思い悩むようなことではない気もする。

 

 

暇つぶしがてら徒然なるままに長々と書き綴ってきたが、そろそろ夜も深まってきた。眠くなってきたし、今回はこれくらいにして寝るとしよう。明日も特に予定があるわけでもないのだが。