ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

友人が突然居なくなってしまった話。

ここ数年、とある古民家で自営をしている人のところへボランティアとして毎週のように遊びに行っている。

その人は過去、国内外を問わずいろんな所に行ったことがあって、知識もものすごく豊富。

たまに感情的になることもあるから、大変に思うこともあるけれど、基本的には話していてとても楽しい。何度か人生相談にも乗ってもらった。

そのたびに、勉強になるし大きな刺激を受けることができた。

 

なにより、自分と比べたら100倍くらい行動的で、思いもしないことを常に考えつく。

それを自分は、週末にほんの少し手伝う程度なのだけれど、つまらない日々を変えるには十分すぎるくらいの時間を過ごさせてくれた。

 

彼と出会ったおかげで、ここ1〜2年がすごく楽しくて刺激的な日々だったことは間違いない。

山口から離れることになったとしても、今後も何らかの形で付き合いは続けたいし、たくさんのことを教わりたい。

 

 

そう思っていた。

けれど、彼は突然いなくなった。

 

 

2月頃に肺炎に罹ったらしく、少し辛そうにしていた。

しばらくしたら改善はしたようだったけれど、ずっと咳をしていた。

肺炎に罹ったあとは、喘息持ちになることもあると聞いたことがあったから多少は心配したものの、元気そうではあったから自分も普通に過ごしていた。

 

4月には外国人ボランティアも一緒に海辺でキャンプをしたし、大分県まで日帰り旅行もした。

ただ相変わらず辛そうにしていて、それにも関わらず病院にはあまり行ってない様子だった。

肺炎の副作用からなのか心臓にもかなり負担が掛かっているらしく、医者には突然死するリスクがあると言われたらしい。

けれど、彼は「病院は居心地が悪い」とか言って、入院を勧める医者の言葉を無視して仕事を続けていた。

自分も少し説得を試みたけれど、彼の意思は固いらしく、「仮に死んだとしても人生に悔いはない」なんて言うものだから、逆に「かっこいいな」なんて思わされてしまった。

 

ゴールデンウィークには、ヒッチハイクをしたいと言った自分に対してアドバイスをくれたり、帰省先から山口に戻ったときにも辛い体を動かして駅まで迎えに来てくれたりした。

本当に友達思いの人で、思わず「自分は他人に対してここまで献身的になれるだろうか」と悩んでしまいそうになることもあった。

 

自分が彼と最後に会ったのは、彼がいなくなる2週間ほど前。

あまりに体が辛いというので、近場の漢方薬局へ薬をみんなで探しに行こうという話になった。

 

途中、春にみんなでキャンプをした海に立ち寄って弁当を食べた。

彼は一時的には落ち着いた様子だったけれど、やはり辛いらしく昼食は取っていなかった。

 

自分はというと、職場でのストレスが溜まっていて、彼にあまり気を回すことができず、ひとり悲観に暮れていた。

 

その日の夜は、カレーをみんなのために作った。

いままで彼が料理係だったわけだけれど、そんな調子なので代わりに作ってあげたのだった。

しかし、彼は当然食べられるわけもなく、とりあえず自分一人でカレーを食べることになった。

 

その日は日曜日だったので、少し彼と話をしてから自宅に帰るつもりでいた。

でも、その日は彼にとって特に辛い日だったらしく、「今日は大変で話せないから帰った方がいい。また今度ゆっくり話そう」と言われた。

たしかに長居するのも悪いと思ったので、「お大事に」とだけ伝えて帰ることにした。

 

そして、それが彼との最後の会話になった。

 

翌日、彼が入院したと彼の家族から連絡があった。

あんなに病院を嫌がっていた彼が入院したのだから、よほど辛いのだろうとは思ったけれど、病院にいるのは病気を治すプロ。

きっと彼も元気になって帰ってくるのだろうと思った。

だから、正直いってあまり心配はしていなかった。だって、医者なら治療法も分かってるだろうし。

 

 

彼が入院してから1週間が経った日の早朝、1本の電話がなった。

彼の友人からだった。

少しドキッとしたけど、彼が自分と話したいからと言って掛けてくれたという。

LINEのビデオ電話越しに彼の様子が映し出された。かなり、やつれていた。

 

自分に対して用があるとの話だったから、彼の名前を呼びかけたけど、あまり反応はなく、返ってきた言葉も何を言っているのかよく聞き取れなかった。

とはいえ、別の病院に移る話も出ている様子だったので、なんだかんだで大丈夫なのかなという印象を持った。

 

 

しかし、その翌日には友人から彼が危篤との連絡が来た。

そんなことを聞いて家でジッとしてもいられないので、仕事終わりに北九州市まで車を走らせ見舞いに行った。

 

けれど、その時にはすでに彼の意識はなく、機械で延命されているような状態だった。もう復帰は難しいだろうとの話だった。

皆、最後のお別れを伝えにきていた。

自分も感謝の言葉を伝えた。

 

でも、そうは言っても、もしかしたら元気になって帰ってくるかもしれない。

そう思いながら、その日は病院を後にした。

 

けれど、その思いも虚しく、翌朝には亡くなってしまった。

信じられなかった。

 

 

彼と過ごした時間はかなり少ない。

本当なら、これからももっと濃い時間を一緒に過ごしたかった。

しかも、彼への恩返しも全くといってできていない。

前兆はあったとは言え、突然のことでとても現実を受け入れることができない。

 

 

けれど、彼は既にかなり密な時間を過ごさせてくれたのも事実だ。

それは紛れもないない事実。

 

これから、自分がどういう人生を歩むかは分からない。

それも含めて、彼といろいろ話したかったけれど、彼はもういない。

 

だから、せめて自分がいままで彼から聞いてきたこと、学んだことを胸に、より良い人生を送れるよう今を精一杯生きるしかない。

それが、彼の教えてくれたことだ。

 

彼と会えて本当に良かったと思う。

彼のおかげで自分の人生について深く考えることができた。

 

本当に、本当にありがとう。

また会えることを楽しみにしたいし、良い報告ができるように自分自身も頑張りたい。