ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

今日も今日とて引きニート生活。

先日、ブログを頻繁に更新するなどと息巻いたが、毎日のように引きこもっていると書くことなんて無いに等しい。

もちろん毎日同じことをしているわけではない。しかし、せいぜいテレビやパソコンで視聴する作品が違うか、気晴らしに近所の古本屋に出かけている程度の差異だ。

 

今日はバイクの教習予約を取るべく外出したが、基本的には家から出ることはない。

特に最近は、引きこもりの名に恥じない生活を送っていると自負している。なぜなら、事実上家を包囲されているからだ。

 

 

先月下旬頃から、うちでは家の壁を塗装する工事が始まった。家の周囲には、隣家への塗料等飛散防止用のカバー張りと作業用足場組みが行われ、必然的に家の中は薄暗くなった。加えて、先週から塗装作業が本格的に始まったことで窓にテーピングが貼られ、シャッターが下ろされている窓も少なくないので昼間でも部屋の中は真っ暗だ。

 

もはや今日の天気が晴れなのか曇りなのか、はたまた雨なのかすら分からない。

当然のことながら家の外には塗装作業を行う業者の人がいるのだが、自分が引きニートだという引け目からか顔を合わすことに抵抗があり、外出することすら憚られ家の中で息を殺しながら過ごしている。ほとんど軟禁生活だと言っていい。

 

仕事をしていた頃は他人と話すことに嫌気が差し、わりと本気で自分の殻の中に閉じこもって誰とも顔を合わせたくないと考えたものだが、まさか現実のものとなるとは思いもしなかった。

しかし、最初こそ時間感覚を奪われた生活にうんざりしたものだが、慣れてしまえば大したことはない。壁越しに他人の気配を感じたり、トイレに行くときなどに音を出して自分の存在が気取られる心配をすること以外は、基本的にはじっとしているだけなので特に問題もない。

 

 

一日中ほとんど誰とも話さない生活だって、よくよく考えるとやはりいいものだ。たまに人恋しさに苛まれることはあるものの、したくもない会話をするよう言われていた営業マン時代のことを考えると天国のようだ。

そんな生活を送っていると、自分が根っからの引きこもり体質だということを、幸か不幸か再認識する。そしてまた、静かにしていると家の中に同じような奴がいることにも気付かされる。ハリネズミだ。

 

彼も昼夜関係なく家に引きこもり惰眠を貪っている。ひょっとすると彼にとっては惰眠ではないのかもしれないが、あまりに寝過ぎだと思う。彼はひたすらに寝続けているし触ったところで痛いので互いに不干渉なのだが、なんだか妙な親近感は抱く。抱いたところで何ということもないのだが。

 

しかし、誰とも話さないことにも少しずつ副作用が出つつあるようだ。

最初に書いたとおり、今日久しぶりに他人(教習所の人)と話す機会があったのだが、想像以上に自分の頭と口が動かなくて戸惑った。もとから物事を順序立てて説明するのは苦手だったものの、ちょっとまえまでもう少し話せていたように思う。その点については気の所為だった可能性も否めないが、非常に残念だ。

 

そういうこともあって、自分が社会復帰できるのか不安になってきた。

 

9月末に送別会をしてもらったときに、「長らく引きこもり生活をしていると外出が億劫になるから気をつけろ」という実体験に基づいた忠告を、先輩社員から聞いていたのだが、見事に同じ轍を踏んでしまっているようだ。人と会いたくない症候群を発症している。

気休めに求人サイトを眺めたりしているものの、いまいちやる気も出ない。

 

とりあえずブログだけ書いて、向上するとも知れないライティングスキルを磨くとしよう。とはいえ、最初に書いたとおり毎日投稿するような話題もないのも事実だ。さっそく前言撤回しなくてはならないかもしれない。

しかし、なるべく頻繁には更新しようと思う。2日に一度・・・とか。