ゆとり世代のボッチが送るお気楽生活日記。

ぼっちの気まぐれ紀行

ゆとり世代のコミュ症が綴るお気楽日記

面接を受けてきました。

一昨日の話になるが、WEBライターの求人があったので応募してみた。

 

さっそく面接の日取りについての連絡があったのだが、正直言ってあまり乗り気ではなかった。勤務地が家から遠いし、勤務時間も(休憩時間が多めに取られているとはいえ)長めに設定されているからだ。

 

しかし、応募したのはこっちであり向こうからも連絡があった以上、行かないわけにもいかない。履歴書と職務経歴書を用意して面接に臨んだ。

 

 

手応えは可もなく不可もなく、といった感じだ。

前回の投稿では、「自分のコミュ力が低下しているようだ」という旨の文章を記したが、面接ではわりとスラスラと話せたように思う。話した内容が客観的にみて適正なものだったか否かの問題は置いておくとして、言いよどむこと自体はあまりなかった。

 

あまり意気込んでいたわけでもなかったことが、そういう結果を生んだのかもしれない。

 

元来、自分は人見知り体質だと思うのだが、真っ赤な他人とは意外と話せたりする。この傾向は、ネットなどを見ると「人見知りあるある」らしい。

自分とは全く関係のない人間だという前提があるので、こちらとしても気後れする必要がないからだ。逆に、新学期のクラス替えのような、今後何かしらの関係性を持つだろう人間とは緊張してしまって話せない場合がある。せっかく話しかけられても、「あっ、う、うん」みたいな気持ちの悪い反応をしてしまったり、面白くもない意味不明な返しをしてしまうものだ。

 

最近では、新しく誰か友達になれそうな人と話す機会もないので、自分がそういう状況に置かれた時にどんな反応をするか分からない。

 

大学に通っていた四年間の中で、自分の価値観はかなり歪んだかたちに変わったように思う。それを踏まえて自分が他人とどう接するかを考えると、おそらく緊張はあまりしないだろうが、必要以上に無愛想な態度をとるだろうと思う。

 

しかし、それは想像の域でしかない。一、二ヶ月に一度という頻度でしか友人を始めとした同世代の人間に会わなくなってしまったいま、自分が他人と同接するのか想像がつかない。あるいは、どう接すればいいのかが分からない。

 

就活や地獄の新入社員生活などを経たこの三年間で、不幸にもかなり擦れた価値観を持つようになってしまったのは事実だ。今後、自分が表面的ではない対人関係が築けるのかが、少し不安に感じる。

 

おそらく、それを上手く処理できなければ友人の輪は減少と衰退の一途を辿るしかないだろうし、彼女や結婚だって夢のまた夢だろう。

 

 

今日受けた面接の結果は今週末に教えてくれるとの話だった。しかし、結果の如何に関係なく、帰りの電車の中で「働くのが面倒くさい」と正直思った。ひと月に及ぶ引きこもり生活がそう思わせるのかもしれないが、再び対人関係に悩まされ時間も拘束される毎日が始まってしまうのかと考えると些か憂鬱になる。

 

一方で、フリーライターなどの在宅仕事はどうにも自分には向いていない、ということが一ヶ月間のニート生活を経て分かった。他人の目がないと、どうにもやる気が出ない。よって、悲しいかな、どこかに出稼ぎに行く必要はある。

 

 

先週までは

明石海峡大橋の頂上から見える眺望を目にしさえすれば、鬱屈した気分も吹きとび頑張れるだろう」

などと希望的観測をしていたのだが、ものの見事に現実はそんなに単純なものではなかった。精神上の変化なんて全くないと言っていい。

 

 

ひとまず面接の結果がどう転ぶにせよ、口やかましい親への良い牽制になったと思う。たとえダメだったとしても、他人との会話シミュレーションができたと思うことにしよう。